南部虎弾
『腎臓移植をすすめるネットワーク』を主宰。
南部 虎弾(なんぶ とらた、1951年7月14日 – )は、コメディアン・パフォーマーであり、電撃ネットワーク(海外ではTOKYO SHOCK BOYSの名称)の一員である。
本名は佐藤 道彦(さとう みちひこ)。旧芸名は南部 虎太・南部 寅太(なんぶ とらた)。愛称は南部ちゃん。身長168cm。血液型RHマイナスO O型。既婚。ダチョウ倶楽部の元リーダー。芸能プロダクション「株オフィス電撃ネットワーク」に所属。メディア関係は主に、芸能プロダクション「ビッグ・ブッキング・エンターテインメント (株式会社BBE)」に委託している。芸名の名付け親は市原悦子。
山形県鶴岡市出身。高崎経済大学中退。
第一生命営業マンを経て渡仏。帰国後、ロシア音楽舞踏団を経て、コント赤信号がいるテアトル・エコーに参加する。
デビュー当初のダチョウ倶楽部のリーダーだった。デビュー当初の生意気な口の利き方については「あの当時、生意気な口を利いて共演者を怒らせて盛り上げる事が面白いと勘違いしていた」と述べている。現在のダチョウ倶楽部の3人による南部時代の回顧によると「夜中に突然上島竜兵の家に電話をかけ、『お前ビー玉飲めるか?』と聞いた」「コントの段取りを無視して奇声を上げて走り回ったりした」「『ハナクソ』のイントネーションに関する議論だけで打ち合わせが延々続いた」「いきなり『俺は久米宏になる!』と宣言した」などがある。芸風や方向性の違い、更にはメンバーとの仲違い等からダチョウ倶楽部を脱退。その後の3人とは関係は良好であり、入院時には3人揃ってお見舞いに来たこともあったという。
脱退後、1990年に電撃ネットワークを結成。過激な体を張った芸で有名である。1992年、トーキョー・ショック・ボーイズ(Tokyo Shock Boys)として海外進出し、オーストラリアを中心に活動している。当時、金魚を飲み込んで吐き出すという「人間ポンプおじさん」が流行り、電撃風にアレンジするためにピラニアを使用して挑戦したものの、吐き出せなかったことがある。吐き出せなかったピラニアが胃の中でかみつくなど、とにかく激痛であったが「怪我をした」というとテレビから声がかからなくなると思い、救急車も呼ばずに我慢した。結局、ビールを飲むために訪れたリンガーハットのトイレで、真っ赤な血だらけのピラニアが出てきたとのこと。この出来事について「水曜日のダウンタウン」に出演した際に今までで1番痛かった出来事に挙げている。
安眠ベッドの通信販売番組に出演するほか、プロレスや格闘技イベントのプロデューサーとしても活動している。黒澤明監督の『影武者』に端役で出演したことがあり、出演者クレジットは「南部虎太」となっている[要出典]。
2010年に田代まさしが再逮捕された際に「田代まさしはこれで最後です!」と厳しい文面をブログにアップした。一方で、2018年に田代と再会した際には記念写真をツイッターにアップした。また、出所を控えた2022年2月には同じく田代を支援していた中村ゆうじとともにYouTubeにて田代について対談し、「また何かやりたいと言い出したら一緒にやろう」とエールを送っている。
2017年3月末、糖尿病の悪化により自宅で倒れ、緊急入院。治療の過程で急性冠症候群による心不全の状態と診断され、同年5月12日に8時間にわたる心臓バイパス手術が行われる。療養後、鳳恵弥が主演を務める連続ショートドラマ『あじさい』で活動を再開する。
2019年5月28日、糖尿病を原因とする腎機能低下の治療のため、妻をドナーとして生体腎臓移植手術を受ける。